怪談 ~近し存在~
連日仕事に追われて多忙な日々を送る渡部。
その日も新たな客先に挨拶に行くため、朝早くに自宅を出て最寄駅から電車に乗って客先の会社へと向かっていた。
目的地の駅は様々な路線が乗り入れているターミナル駅で利用客が多い駅だった。
電車を降りると客先の会社が入るビルがある方面の出口を目指して渡部は歩き始めた。
駅構内は狭く人でごった返していて真っ直ぐに歩くのもままならない。
そんな雑踏をかき分けるように進んでいくが、しばらく歩いたところで、通路の端の方にある柱の下にスーツ姿の男性がうつ伏せで横たわっていることに気づいた。
渡部はあの人はどうしたのだろうと気になったが、周囲を歩く人たちは軽く視線を向けるだけで足を止めずに通り過ぎていく。
皆、朝の出勤や通学で忙しいのだろうが、人が倒れているのに素通りしていくことに渡部は怒りの気持ちが湧いてきた。
しかし、それよりまずは倒れている男性の介抱をしなければと、その男性の方に近づいていく。
人の流れをなんとか掻い潜り、やっと倒れた男性の側まで来た。近くで見ると男性は全く身動きをしていない。重篤な状態が予見できた。
声をかけようと男性の横にしゃがみ込もうとした瞬間、後ろから渡部の肩に手がかけられた。
渡部が振り向くと、それは見ず知らずのレディーススーツを着た20代前半くらいの若い女性だった。
その女性は「ちょっとこっち。」とだけ言って渡部の腕を掴み引っ張って行こうとする。
渡部は訳が分からず抵抗しようと腕に力を入れるが、女性の力は思いの外強く、抵抗も虚しく女性に引っ張られる状態で歩き始めた。
周囲の冷ややかな視線を浴びながら人の流れを再びかき分け、男性が倒れていた柱から反対側の壁際にある人が二人ちょうど立てそうなスペースに渡部と女性は収まった。
女性の手が掴んでいた渡部の腕から離れるのと同時に渡部は女性に文句を言い始めた。
「きみはいったい何なんだ。突然腕を引っ張ったりして。」
だが女性は渡部の文句を聞き流して、逆に文句を並び立てる渡部に対して不服そうな顔を見せた。
「せっかくあなたのことを助けてあげたのに。」
渡部は女性の発言の意味がわからず困惑した。
「助けたってどういうことだ。」
女性は渡部の方を見て薄らと笑った。
「ほんとうに分かっていないようね。おじさん、アレに声をかけようとしたでしょ。」
そう言って柱の横で倒れて相変わらずピクリともしない男性を指差した。
「あれって、、、当たり前だろう、人が倒れていたら助けようとするのは。それなのに誰も助けようともしないどころか、挙げ句の果てには助けようとしているのを邪魔までされる始末だしな。」
渡部はそう言って目の前の女性を忌々しげに見る。
「誰も助けようとしないのはアレが他の誰からも見えないからよ。」
渡部は目の前の女性から出る言葉の全てが理解できず困惑の度を深めた。
「はっ、見えないってどういうことだよ。」
女性は頭をガシガシと右手で強くかいた。そのせいでセットされていたストレートの髪が乱れた。
それに気づき慌てて髪を整えたあとに軽くため息をついた。
「アレはおじさんにしか見えてないってこと。他の人たちにはアレは見えていない。だから皆素通りしていくの。」
「見えないって、あきらかに人が倒れているだろう。」
渡部は呆れたとばかりに笑おうとした。だが顔が引き攣りうまく笑えなかった。
「よく見て。ほんとにアレが人に見える?」
渡部は再び柱の横を見た。やはり間違いなく男性が倒れている。
だがそのときに初めて何かがおかしいことに気づいた。
その倒れている男性の姿に重なるように別の何かが見えたような気がした。
渡部はジッと倒れている男性を見つめていると、男性の身体を透けて何かが見えてきた。
あれは、、、花束?白い紙に包まれた花束が、置かれているように見える。
すると突然先ほどまで見えていた倒れている男性の姿が消えてなくなり、全く見えなくなった。
「どういうことだ、、、。」
呆然とする渡部に向かい女性が言った。
「一昨日、肩がぶつかったという理由だけで高校生の少年3人が会社員の男性に暴行し、その男性が倒れた拍子に近くにあった柱で頭を強打して亡くなる事件があったの。」
「たしかそんなニュースをテレビでやっているのを見た気がするが。」
「その事件があったのがここなのよ。そして倒れた男性がいた場所があそこ。」
そう言って女性は花束が置かれている場所を指差した。
「そうだったのか。ならばさっき俺が見ていた人はまさか、、、。」
「そう、あの事件で亡くなった被害者の霊よ。」
女性はそれが至極当然のようにはっきり言い切る。渡部は背筋に冷たいものを感じた。
「霊って、そんな、、、そんなものが見えるなんて。」
「私は小さい頃から見慣れているから別に驚きでもなんでもないけど、見たことがなければそりゃ驚くわよね。」
「そうだ、俺は今までそんなものを見たことが無かったのに、突然そんなものが見えるようになるなんて、、、何故なんだ。」
渡部は女性に問い詰めるように言った。
女性は少しだけ困ったような表情を浮かべたが、何かを考えるようにしてから話始めた。
「私の父親、数年前に過労で心臓発作を起こして死にかけているんだけど、おじさんがその時の父親と同じように見える。」
女性はそこで一旦間を開けた。その時のことを思い出していたのか、女性の眉間には少し力が入ったように見える。
「えーと、、なんて説明したらいいかな。そうそう、映画とかで3D映像を見るためにメガネをかけるじゃない。あれメガネをかけないで映像を見ると何重にもブレたように見えるでしょう。まさにあんな感じに見えるの。まるで体と魂がブレたように。あの時のお父さんはそうだった。そして今のおじさんも。」
渡部は女性の話を聞いて初めて不安そうな表情を浮かべた。
「たぶん、おじさんも休みなく働いていて、とっても疲れているんじゃない。そのせいで、あっち側に近づいちゃってるのよ。だから見えたんじゃないかな。」
「あっち側って、、、。」
「もちろん、死者の世界よ。」
渡部は予想外の話に混乱しどのように反応していいかわからず、ただただ戸惑っていた。やっとのことで頭に思いついたことを口に出した。
「きみのお父さんはそれでどうなったんだ。」
「お父さんは、一命を取り留めてからは健康第一、仕事は二の次って言うのが口癖になった。そのおかげで今では健康そのものよ。あれからブレて見えることもないし。」
そのとき女性が何かに気づいたようにハッとした顔をした。
「あっ、いけない。仕事に遅れちゃう。」
それだけを言うと、女性は渡部に背を向け足早に歩き始めた。そして女性の姿はすぐに雑踏の中に消えた。
一人だけその場に残された渡部は、柱の横に置かれている白い紙に包まれた花束を見つめ、心からあそこで亡くなった男性の冥福を祈った。
そして渡部は今自分が抱えている案件が落ち着いたら、しばらく休暇を取ろうと思った。
更新日:2024/9/14
バージョン:1.0