怪談 ~スニーカー~
あるフリマサイトで限定版のスニーカーを見つけた彰斗は、迷わず購入した。発売後、瞬く間に完売した幻の一足だ。数日後、待ちわびた段ボールが届いた。しかし、その日は急ぎの用事があり、開封する間もなく家を飛び出す。帰宅し、夕食を済ませてようやく一息ついた時、彰斗は段ボールの存在を思い出した。
喜び勇んで箱を開けると、中には待ち望んでいたスニーカーが……。しかし、彰斗の表情は一瞬で固まった。注文したのは白を基調としたモデルだったが、箱に入っていたのは燃えるような真っ赤なスニーカー。デザインも形も、全くの別物だ。
「間違った商品が届いたのか?」
送り状を確認するが、宛先は間違いなく彰斗の住所と名前だった。誤配達の可能性は消え、残るは出品者側のミスしかない。フリマサイトのサポートセンターに問い合わせようとするが、電話対応はしておらず、メールでの問い合わせのみとのこと。仕方なく、届いた商品が違う旨をメールで送信した。念願のスニーカーが手に入らない落胆と、不手際への苛立ちが彰斗を覆う。この日はもう何もする気になれず、シャワーを浴びて早々に寝ることにした。
その夜、彰斗はふと夜中に目を覚ました。一度眠ると朝まで起きることのない彰斗は、なぜこんな真夜中に…とぼんやり考えていた。その時、部屋の隅から「ざっ、ざっ」と、何かが引きずるような微かな音が聞こえた。
彰斗の意識は一気に覚醒し、心臓が大きく跳ねた。体を動かさずに音のする方に視線を向ける。部屋の隅、洋服が入ったキャビネットの前で、ゆらゆらと揺れる影が見えた。それは、人型をしていながら、闇そのものが凝縮されたかのように輪郭がぼやけている。
「誰かいる…」
泥棒かと思ったが、影は何かを盗むわけでもなく、ただゆらゆらと揺れているだけだ。彰斗は昔から柔道を嗜んでおり、格闘には多少の自信があった。意を決し、ベッドから飛び起きてその影に掴みかかった。だが、手応えは全くなく、彰斗の体は空を切って床に転がった。勢い余ってキャビネットにぶつかり、身体を打った痛みに耐えながら起き上がる。影はどこにもいない。隣のキッチンやリビングを探したが、やはり誰もいない。玄関もベランダの窓も施錠されており、侵入した形跡はない。
「どういうことだ…?」
いくら考えても分からず、彰斗は自分が寝ぼけていたのだろうと無理やり納得させるしかなかった。
翌日、仕事の合間にメールを確認したが、サポートからの返信はまだない。苛立ちながらも、辛抱強く返信を待つしかなかった。
その夜中、彰斗はまた目が覚めた。昨夜と同じように、部屋の隅で何かが動く気配がする。嫌な予感を振り払い、気配のする方に目をやると、昨日と同じ場所にゆらゆらと動く影が見えた。しばらく様子を見ていると、こちらに背を向けていた影が、ゆっくりと彰斗の方に体の向きを変えてきた。闇に目が慣れ、その姿を凝視する。それは男のようだった。年は彰斗と同じくらいに見える。目線は床に向いていて、ふらふらと揺れながら何かを探しているようだ。
彰斗はそこで一つの可能性に思い至った。この影が現れるようになったのは、あの赤いスニーカーが届いてからだ。もしかして、この影が探しているのはあのスニーカーなのではないか? そして、彰斗はもう一つ重要なことを思い出す。前にこの影に掴みかかったとき、何の手応えもなかったこと。夜中に突然部屋に現れること。これらをつなぎ合わせると、この影の正体は幽霊ではないか?
影は赤いスニーカーが入った箱を見つけたようだった。箱に近づき、蓋に手をかけようとしたその時、彰斗は咄嗟に起き上がり、壁の電気のスイッチを押した。
部屋に電気がつくと、影は跡形もなく消えていた。
彰斗は箱に近づき、中身を確認する。あの赤いスニーカーはそのまま箱の中にあった。
翌日、仕事中にフリマサイトからメールが届いた。出品者に確認したところ、間違った商品を発送してしまったとのこと。そして、正しい商品を改めて発送すると書かれていた。だが、そのメールには、間違って送られてきた赤いスニーカーをどうするかについては一切書かれていなかった。
(おい、どうするんだよ。それも書いておけよ)
即座に、返品方法を問い合わせるメールを返信した。すると、そのメールに対しては即座に返信が来た。出品者に確認したところ、間違って送った商品に関しては返品は不要とのことだった。
彰斗は困惑した。あんな不気味なもの、いつまでも手元に置いておきたくない。もしかして、あの幽霊付きのスニーカーを処分するために、わざと誤配送したのではないか? 疑念が彰斗の脳裏をよぎる。彰斗はさらにメールで、いらないから返品したいと返信した。だが、その後はいくら待っても、そのメールに対する返信はなかった。
家に帰り、彰斗は赤いスニーカーを目の前に置いて処分に悩む。このまま寝たらまた夜中にあの影が部屋の中をうろつくに違いない。ならば、目立つところに置いておいて、あの幽霊にスニーカーを渡してしまえばどうだろう? そうすればもう彰斗の部屋には出てこないのではないか。これはいい考えだと彰斗はさっそく実行することにした。
その夜、彰斗はなかなか寝付けずにいた。幽霊が出ると分かっていて、安穏と眠れるほど豪胆ではなかった。布団の中でごそごそとしていたが、いつの間にか眠っていたらしい。
パッと目が覚めた彰斗は、周囲の様子を伺う。あの幽霊がいるときは何かがいる気配が感じられたが、今は何も気配が感じられない。暗闇に目が慣れてきたが、やはり何かがいるようには見えない。
「今日に限って幽霊は出なかったのか…?」
枕元に置いてあったスマホを取る。時間は5時近くだ。もうあと一時間もすれば夜が明ける。諦めた彰斗は水を飲もうと立ち上がり、キッチンへ向かった。そして、ベッドに戻って腰かけ、もう少しだけ寝ようかなどと考えていた。
ふと、赤いスニーカーのことが気になった。もしかしたらもうなくなっているかも…。彰斗はスニーカーの方に目をやったが、スニーカーは寝る前と同じ状態のまま置かれている。
「やはり、今夜は幽霊は出ないのか」
そう思い安堵のため息をつくと、ベッドに戻ろうと振り向いた。だがその瞬間、彰斗は自分の横に黒い影が立っているのを見た。人の姿形をしてはいるものの、近くで見ても影にしか見えない。それは彰斗の横をゆらゆらと通り過ぎ、スニーカーの方に近づいていく。彰斗は背後に移動した影を見ようとゆっくりと振り返る。
影はスニーカーの前で座り込み、顔を近づけている。おそらく近くで確認しているのだろう。彰斗は心の中で、「そのスニーカーはお前にやるから早く持って消えろ」と思っていた。
幽霊はしばらくするとゆらゆらと立ち上がった。足元には箱に入ったスニーカーがそのまま置かれている。幽霊は「……これじゃない……」と、か細い声で呟くと、周囲の闇に染み込むように消えていった。
翌日、フリマサイトを通じて出品者からメールが来ていた。あの赤いスニーカーは量産品の売れ残りで価値がなく、いらないならゴミに捨ててほしいという内容だった。彰斗は、本当は何か因縁のある物だけど、それを正直に言えなくて適当なことを言っているのではないかと疑った。
結局、その日も赤いスニーカーは彰斗の部屋にあるまま夜を迎えた。その日もまたいつ幽霊が出るのかと怯えていたが、気が付いたら朝になっていた。その日から、彰斗の家に幽霊が出ることはなくなった。
彰斗は安堵した。ようやくあの不気味な現象から解放されたのだ。赤いスニーカーはすぐにゴミに出し、二度と関わらないと心に誓った。
数日後、フリマサイトから注文した「白いスニーカー」がやっと届いた。念願の限定品。中古とは思えない美品に彰斗は満足していた。これでようやく日常が戻ってくる、そう思った。
しかし、その日の夜中にふと目覚めた彰斗は、妙なことに気が付いた。玄関に置いていたはずの白いスニーカーが、なぜか片方だけなくなっているのだ。部屋中を探したが、見つからない。玄関の鍵も閉まっており、誰かが持ち出した形跡もない。
結局それから朝まで一睡もできなかったが、彰斗は仕事を休むわけにもいかず身支度を始めた。そして身だしなみを確認するために姿見を見た時、背後に映った部屋の様子にぎょっとした。
朝の陽ざしが差し込む中、そこだけぽっかりとくり抜いたように、ぼやけた影が佇んでいた。その影の手には、あの片方だけの白いスニーカーが収まっている。
ハッとして振り返ったときには、部屋の中にはすでにその影はなかった。そして、片方だけ残されていたはずのスニーカーも、影も形もなくなっていた。
「ざっ、ざっ…」
どこからか、何かが引きずるような音が聞こえた。それは、白いスニーカーを履いて歩く、あの幽霊の足音のように思えた。
あの幽霊は赤いスニーカーではなく、最初からこの白いスニーカーを探していたのだろうか。

更新日:2025/9/6
バージョン:1.0