怪談 ~音~
大学入学と同時に引っ越したマンション。築年数はそこそこだが、駅からのアクセスも良く、家賃も手頃だった。しかし、引っ越して数日後から、奇妙な出来事が起こり始めた。
夜中、草木も眠る丑三つ時の2時過ぎになると、必ず「コツ、コツ、コツ……」という、何かを堅いものに叩きつけるような音が聞こえてくるのだ。その音は、毎晩決まって5分間だけ続き、その後、嘘のように静寂が訪れる。
最初は、上の階の住人が夜中に何か作業でもしているのかと思った。しかし、マンションの管理会社に相談し、他の住人に確認してもらったところ、そのような音を立てている人はいないという。
音が聞こえるたびに、音源を突き止めようと試みた。壁に耳を当て、部屋中を歩き回ったが、どこから聞こえてくるのか全く分からない。まるで、部屋全体が音で満たされているかのように、音が反響しているのだ。
友人にこの話をすると、彼らは面白がって、音の正体を確かめるために協力してくれることになった。その日の夜、1LDKの狭い部屋に、私以外に友人の山田、宮下、真中の3人が集まり、音が鳴る時間を待った。
時計の針が2時13分を指した瞬間、全員が待ち焦がれていた音が、静寂の中に鳴り響いた。
「コツ、コツ、コツ……」
私たちは息を潜めて耳を澄ませ、音の出所を探した。キッチンの方を調べていた山田が、突然、青ざめた顔で私たちを呼んだ。
「みんな、こっちに来て……」
山田が指差す先には、キッチンの床下収納があった。どうもそこから音が聞こえてくるみたいだった。
宮下が、下の階の音が聞こえているのではないかと訊いた。しかし私は、この部屋の下はエントランス部分であり部屋はないと告げた。つまり、床下収納から聞こえる音はこの部屋の中で発生していることになる。
誰もが、床下収納の扉を開けることに躊躇した。しかし、好奇心と恐怖心が入り混じった真中が、意を決して扉を開けた。
そこには、何もなかった。ただの、空っぽの床下収納があるだけだった。
その瞬間、再び「コツ、コツ、コツ……」という音が鳴り響いた。そして、その音に合わせて、床下収納のケースが、まるで生きているかのように振動しているのが分かった。
真中は、悲鳴を上げそうになるのを必死に堪え、慌てて扉を閉じた。
「もしかして床下に動物が迷い込んだりしてないか」
現実的に少しでもありそうな理由を考えて誰かがそう呟いた。しかし、もしそうなら、なぜ決まった時間にだけ音がするのだろうか。
私は、背筋が凍りつくのを感じながら、この部屋に隠された秘密を解き明かそうと決意した。そうすることでしか、この恐怖から逃れる方法が思いつかなかった。
次の日から、私は部屋に隠された秘密を解き明かすために、あらゆる手段を試みた。まずは、このマンションの過去について調べようと、インターネットで情報を集めた。しかし、このマンションに関する情報はほとんどなく、手がかりは見つからなかった。
次に、部屋の過去の住人について調べようと、管理会社に問い合わせた。しかし、個人情報保護のため、過去の住人の情報を提供することはできないと言われてしまった。
途方に暮れていた時、友人の一人が、古い不動産屋なら何か知っているかもしれないと提案した。私たちは、近所にある築50年以上の古い不動産屋を訪ね、このマンションについて尋ねてみた。
すると、老齢の店主は、少し考え込んだ後、こう語り始めた。
「ああ、あのマンションね。昔、あのマンションがまだ建つ前にあの土地にあった家で凄惨な事件があったんだよ……」
店主の話によると、その家では一家惨殺事件があったという。父親が精神を病み、妻と子供を殺害した後、自ら命を絶ったのだ。そして、その一家が住んでいたを取り壊した跡に建ったのがあのマンションだった。
私は、これだ!という感触を感じていた。そしてさらに詳しく話を聞いた。店主はこれは噂の話で真実かどうかはわからない、と前置きをしてから話始めた。マンションが建った後、マンションには次々と新たな住人が入居していった。だがそのうちの一部屋、それがどの部屋かまではわからないが、その部屋に入居した住人は奇妙な現象に悩まされ、すぐに引っ越してしまったという。その後もその部屋に入居する人は短期間の間に引っ越して出て行ってしまう。
「あのマンションは、いわくつきなんだよ……」
店主は、そう呟いた。
私は部屋に戻り、改めて部屋を見渡した。よく見ると壁にはうっすらとシミのようなものが浮かび上がっていて、それが血痕のように思えた。意を決して床下収納の扉を開けると、そこから流れ出る空気はひんやりと冷たく、まるで別の世界に通じているかのようだった。
その夜、再び「コツ、コツ、コツ……」という音が部屋に鳴り響いた。私は布団の中でただ音が止むのを待つしかなかった。しかし今日は、いつもと違っていた。音がどんどん大きくなり、激しく床下収納を叩きつけるように鳴り響いたのだ。
私は恐怖のあまり布団から飛び出ると、部屋の隅まで下がりそこで震えていた。すると突然、床下収納の扉が持ち上がるとひとりでに開き、中から黒い影のようなものが現れた。それは、人間の形をしていたが、顔はなく、ただ黒い闇が渦巻いているだけだった。影は、ゆっくりと私に近づき、その手を伸ばしてきた。
私は悲鳴を上げ、必死に逃げようとした。しかし、足がすくんで動かない。影の手が、私の首に触れた瞬間、私は意識を失った。
次に目を覚ました時、私は病院のベッドにいた。医師によると、私は部屋で倒れており、連絡が取れずに部屋を訪ねてきた友人に発見された。発見が遅れていれば命を落としていたかもしれないという。
私は、医師に部屋で起こったことを話したが、医師は、それは夢か幻覚だろうと言った。しかし、私は、あれが現実だったことを確信していた。
退院後、私はすぐに部屋を引っ越した。しかし、あの部屋で体験した恐怖は、今も私の心に深く刻み込まれている。そして、夜中に「コツ、コツ、コツ……」という音が聞こえるたびに、あの黒い影が、私を迎えに来るのではないかと、恐怖に怯えるのだ。
更新日:2025/4/2
バージョン:1.0