怪談 ~毛~
隆康は某企業の大阪支社に勤めているが、翌月から東京本社への転勤が決まっていた。
そのため、隆康は週末の休みを利用して東京へと来ていた。
目的は東京での住居を決めること。ただ明日には帰らなければならないため、出来れば今日中にある程度目星を付けておきたかった。そのため、東京に来る前にインターネットで調べて良さそうなところをいくつかピックアップして不動産会社にアポイントを取っていた。
午前中に2件、午後に別の不動産会社で3件の内見を予定していた。
まずは午前中の1件目のマンションへと行った。
部屋の中は賃料のわりに広く綺麗で、一目見て気に入った。築浅で駅からも近いこともあり、そこで即決しようかと思ったが、ただ気になることもあった。それだけ条件の良いマンションなのに空き部屋が目立つことだ。全部で20部屋あるマンションだったが、半分くらいしか入居者がいないようだった。
「どうして、こんなに空き部屋が多いのですか。」
不動産会社の担当者Tにそれとなく聞いてみた。
「最近たまたま退去者が重なって空き部屋が多いだけです。」と素っ気ない回答だった。
他に気になることのいくつかを聞いてみるが、曖昧な回答が多く、モヤモヤするものが残った。
だけど、とりあえず急いでここに決める必要はないと考え、2件目の物件へと移動した。
2件目のマンションに着き部屋へと来たが、部屋に入って早々に担当者Tは電話がかかってきたため、部屋の外に出て行ってしまい、隆康一人だけが部屋に残っていた。
2件目のマンションも建物自体も新しく、また立地なども1件目のマンションと同程度の条件だったが、こちらの部屋は1件目のマンションよりもさらに賃料が安かった。ただ、こちらのマンションも空き部屋が少なくないようだ。
こんなに条件の良いマンションなのに何故だろう、と思いながらも部屋の中を隅々まで確認していると、リビングの隣にある六畳のフローリングの部屋、入ってすぐ横の壁になにかが付いているのが見えた。何だろうと近づいて見てみると髪の毛がついているみたいだった。部屋は掃除されていて綺麗なため、以前に来た内見者の髪の毛が付いたのかと思って何気なく手で払ってみると、毛は揺れるだけで壁から落ちる気配はない。
もう一度同じように手で払ってみるがやはり毛は落ちない。触るのは少し気が引けたが、気になってしょうがない隆康は、指で摘まんでその毛を取ろうとした。
しかし毛は取れなかった。壁にくっついているのか引っ張るとピンと伸びるだけで壁からとれる気配はない。少しだけ強めに引っ張ってみるがやはり毛は取れない。
どうなっているのかと壁についている毛をまじまじと見てみる。
すると毛は壁についているというより、壁から生えているように見える。
まさか壁から毛が生えることはないだろうとは思うが、それ以外は考えられないような状態だった。
何度かその髪の毛を引っ張っていると、壁から何か音が聞こえる気がする。
低く唸るような人の声のように思えたが、ちょうどその時、担当者Tが部屋に戻ってきた。
そして、申し訳ありませんがトラブルで他の管理しているマンションに急遽向かうことになったので、内見はこれで終了とさせてほしいと言われた。
隆康はそういう事情ならばしょうがないと思ったが、あの髪の毛のことだけはどうしても確認したいと思った。
「あの、ここの壁に髪の毛がついているのですけど、壁から生えたみたいに全然取れないんですよ。」
隆康がそう言うと、担当者Tは慌てた様子だかどこか冷静な感じで、「申し訳がないのですが、急ぐので部屋から出ていただけますか」と隆康を部屋の外に誘導し、部屋の鍵をしめると挨拶もそこそこに足早に立ち去って行った。
午後の予定まで少し時間が空いたため、余裕のある昼食を取れた隆康は、その間もあの毛のことを考えていた。あれは見た目や手触りからも、どう見ても人間の髪の毛のように思えた。それが壁から生えている。どういう状況になったらそのようなことになるのか。それにあの担当者Tが髪の毛の話をしたときの反応。ただ、いくら考えても隆康には答えは出てこなかった。
午後の内見は午前中とは打って変わり、担当者Sが親切で丁寧な対応で順調に行われた。どの物件も中古ということもあり、それなりの部屋であった。賃料も周囲の物件価格から見ても標準といった感じで、可もなく不可もなくの物件ばかりだった。
ただ住むにはそれほど不便をすることがない良い物件ばかり紹介されて隆康はそれなりに満足していた。隆康は午後に紹介された3件の内から決めようと思ったが、午前中の不動産会社から紹介された物件の賃料の安さの魅力は捨てきれずにいた。
そこで、今3件の物件を紹介してくれている間にいろいろと話をして打ち解けていた担当者Sに午前中に内見したときの話をしてみた。すると担当者Sはどこの不動産会社ですか、と聞いてくる。隆康がXXXX不動産ですと教えると、担当者Sは渋い顔をして首を振った。
「同業者のことを悪く言いたくはありませんが、XXXX不動産はやめたほうがいいですよ。」
「どういうことですか、何か問題がある不動産会社なんですか。」
隆康は、何故か少しドキドキと鼓動が速くなるのを感じていた。
「ええ、扱っている物件に少し問題があるんですよ。」
「もしかして事故物件とかいうやつですか。」
担当者Sは少しだけ困ったような顔をした。そして指を立てて自身の頬を掻いた。
「事故物件というか、マンション自体には問題はないみたいなのですが、そのマンションを建てた土地に問題があったみたいですよ。噂で聞いたレベルの話なので、あまり他では言わないでほしいのですが、そういう問題のある土地に建てたマンションなので、住んでみるといろいろとあるみたいなんですよ。ただ事故物件ではないから告知義務は生じない。それをいいことに黙って貸していたみたいです。でも賃借人が短期間ですぐに出て行ってしまうため、何かあると賃借人がなかなか見つからなくなってきた。そこで内見の際に敢えて問題のある部屋に連れて行って反応を確認する。もし何らかの反応がある場合には、適当な理由をつけて貸さない。そんなことをしているみたいです。」
担当者Sの言うことがすべてが真実なのかというとそれはわからないが、隆康はそれを聞いて腑に落ちるところがあったのは事実だった。
「さきほども言いましたが、これはあくまで噂レベルの話ですので、本当のところは違うかもしれません。ただ先ほど聞いた感じでは、もし何か気になるところがあるのでしたらやめておいた方がいいかもしれません。もちろんその場合、当社で満足いただける物件を紹介させていただきます。」
隆康はそれを聞いて、XXXX不動産の物件は断ろうと思った。こんな話を聞いてはもう安心して住むことはできない。
そして、担当者Sと分かれた後にすぐに電話をした。
担当者Tに電話はすぐ繋がった。隆康は自分の名を名乗り、そして午前中の物件について話をしようとしたときに、担当者Tはそれを遮るようにして言った。
「申し訳ございません。午前中にご案内した物件は両方ともに入居者が既に決まってしまいました。他にご案内できる物件も今はございません。ご希望に添えず大変申し訳ございません。」
それだけを言うと電話は切れたのだった。
更新日:2024/8/12
バージョン:1.0
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